道徳教育を充実させる...
政府は、18歳から選挙権が与えられたことを改訂の理由としていますが、報道などでは、その実は、道徳教育を充実させ、安全保障や領土問題について学ばせるという内容も盛り込まれていることから、当時の安倍政権としては、道徳教育を徹底することが目的とされていると指摘しています。
「公共」を高等学校における道徳教育の柱にしたい
小・中学校には週1回「道徳」の時間がありますが、今年から「特別の教科道徳」
に変わります。文部科学省は、小・中学校でも高等学校でもすべての教科を通じ
て道徳教育を重視するとしており、「公共」の新設もその一環となっているので
す。
小学校では「特別な教科 道徳」が始まっています。なぜ「特別の」と付いているのでしょうか。道徳が教科化されることで、小学1年生は年間34時間、小学2年生から中学3年生までは年間35時間の授業を行うことが義務づけられます。
検定教科書を使用することも、義務づけられます。道徳を教科化すると、児童への評価も導入されます。
新学習指導要領をめぐる社会科系教育の改革に関しては、科学に関する重要事項を審議し政府に対して政策提言などを行っている「日本学術会議」の議論や提言が大きな影響を与えているとのことです。
こんな意見があります...
新たに導入される「公共」という科目は、道徳教育が柱にあり、自分の国を愛することを目的と定められていて、個人の価値観や生き方に直結するものとされています。
憲法学者の木村草太氏は自身のTwitterで、高等学校学習指導要領で「現代社会」を廃止して「公共」を必修科目として新設することに関して、背景には、この科目を高等学校における道徳教育の柱にしたいという考えがあると指摘し、「公共」の学習内容を見ると、現在の「現代社会」で扱っている「基本的人権の保障」や「平和主義」が削除されたことを取り上げています。
木村草東京都立大学教授は、2020年6月3日の朝日新聞に、名古屋大学大学院中嶋哲彦教授の「学びの統制と人格の支配(世界6月号)」での、公共という名の下で進められている「道徳」教育の問題に対する指摘している論説を取り上げ、「道徳を理由に人権侵害の懸念」という記事を投稿されています。
新聞記事では「伝統や道徳を理由に、他人の人権を侵害してはいけない」として、「道徳」教育の強化はこうした前提を壊しかねないと述べています。
ジェンダー差別を例に上げて、憲法で守られているジェンダー間の平等が、日本の伝統や道徳がそれに反する性別役割分業を推奨していたとしても正当化されることが起こりうると問題提議しています。
記事の最後の段には、中嶋哲彦教授の「学習指導要領はそもそも法的拘束力を持たない指導助言文書にすぎない」ということを文部科学省は明言すべきだという主張を正論としながらも、実際には教科書検定などを通じて教育現場で指導要領が大きな意味を持つ現実を指摘して、私たちが道徳教育の現場をどうすればよいかを考える必要があると書かれています。
名古屋大学大学院中嶋哲彦教授は、NHKサイトに「新高校学習指導要領の問題点」(視点・論点)という記事を、2018年4月2日に投稿されています。
その中で、道徳は個人の価値観や生き方に直結するものですから、教科として教えたり、その習得状況で生徒を評価したりすることは適切ではないと指摘されています。
記事には
学習指導要領には、「公共」の目標として、生徒が「自国を愛」するようになることを指導すると明記しています。これでは、日本国憲法が保障する思想信条の自由に反して、愛国心をもつよう指導し、生徒の思想信条を評価することになりかねません...
とあります。
学校教育を通じて、特定の価値観や生き方を押し付けることがあってはならない...
とも指摘されています。
この記事で「注意しなければならない」こととして
ここで注意しなければならないのは、何を学び、何を考えるかということです。人は、自ら学んだこと、自ら考えたことによって、自らの人格を形成します。学ぶこと、考えることは一人ひとりの人格の表現であり、何を学び、何を考えるか、つまり「何のために学ぶか」は、その人の個性、価値観、生き方に直結しています。ここで気になるのは、新学習 指導要領では、すべての教科を通じて道徳教育を推進するとしていることです。
何を学び、何を考えるかの指導を名目に、生徒に特定の価値観や生き方が押し付けられることがあってはならないと思います。
と書かれています。
ちなみに、国語において、「現代の国語」「言語文化」などが新設・再編されます。
教育が変わる背景には、必ず時の政権の意図がある...
考えすぎですかね。
時間がかかる学習指導要領変更は、長期政権だからこそできたというものですね...
他にも変わる高校授業